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後ろ髪を引かれる心地で地下の駐車場に着くと、それを待ちかねたように携帯が鳴り出した。 なんとなくそんな気がしながら出てみると、やっぱり相手はたった今別れたばかりの織田だった。 「柳葉さん?俺だけど」 「どうした?」 「ううん・・・言い足りない事あったから」 「なんだぁ?」 ガチャリと車のドアを開け、乗り込みながら会話する。 「さっきのアレね、メモリーのナンバーが300番目ってヤツ」 「ああ・・・」 「アレね、あれでも俺なりに考えたんだ」 「・・・」 先を促すように俺は黙ったままだ。 「柳葉さんに何かあった時に、いつでも掛けてもらおうと思って。 ほら、例えばメモリーの1番って確か奥さんだったよね?で、2番目が秋田の実家でしょう? そんな風に、貴方には沢山の大切な人たちが居るわけだけど、 柳葉さんがいろんな意味で自分以外の誰かが必要だって時に、最後の最後、299番目までかけ終わっても見つからなくって、 メモリーに入ってるのはコレでもう誰も居なくなるっていう・・・最後の拠り所って言うか。 う〜ん、なんて言えばいいのかな」 織田の言わんとすることが、俺にも朧気に解ってきた。 「とにかく、『最後には俺が居るんだから』ってコトを言いたかったんだけど、うまく喩えが見つかんないや。 なんか変だよね?」 そう言って、受話器の向こうで織田が声をあげて笑う。 「普段はいつもの番号でいいから。さっき、消したって言ったけど。 ゴメン、ホントはそのまんま入ってる。 だからこっちの方は、普段は忘れてていいから。どうにも俺の事が必要な時、呼んで」 何も言えずにいる俺に、あいつは続けた。 「どんな時でも、何処にいても、何をしてても。きっと貴方のトコに、飛んでくるから」 「『飛んで』?羽根なんかねぇクセに」 今時、素人でも大笑いするような臭いセリフに、不覚にも鼻の奥がツンとしたのを、 自分でも誤魔化すように憎まれ口を利いてみた。 「やだな、柳葉さん知らないの?貴方のためだったら、 背中に羽根生やして飛んでくのなんて、簡単なんだよ、俺」 何処までも気障で、聞いている方が恥ずかしくなる言葉が続く。 正直、嬉しくないとは言わない。 実際、そんな事出来っこない事は解っていても、 俺の心の何処かしらに「嬉しさ」は確かに存在していて、それが自分自身にも隠せない。 言われた俺の方が嬉しさに照れ臭くなって、 おもむろに運転席で座り直すとシートベルトを締め、バックミラーを直そうとミラーに手を掛けた。 俺は手を止めた。 手を掛けたまま、ミラーを覗き込む。 中では、ミラー越しに織田が笑い掛けてくる。 後方のエレベータを降りて直ぐの壁に、左肩で寄り掛かるようにしてその肩と耳の所に携帯を挟み込んで、 携帯には右手が添えられており、その右手の肘を軽く抱えるようにして立っている。 俺が気付いたと知ると、右肘を抱えていた左手を挙げて合図する。 「ね?こんな風に直ぐに飛んで来れるんだよ。貴方の為だったら」 ミラー越しに、携帯から聞こえてくる言葉のとおりに織田の口元が動くのをジッと見つめている。 「誰も、呼んでねぇだろ」 相も変わらず憎まれ口をきいてしまう。 「あれ?違った?おっかし〜な〜」 織田はそう言ってまた笑う。 その笑顔を見ていたら、聞かずとも分かり切っていることを聞いてしまった。 「ホントに・・・?」 「え?」 呟く俺に、気付いた織田が聞いてくる。 織田が言っているのは、心の底からの本心だと解る。 実際俺が呼べば、コイツは俺の元に来ようと出来うる限りの努力をしてくれるだろう。 でも、同時に、どう足掻いてもどうにもならない時が在ることも、俺達は知っていて。 全てを投げ出して、俺の元に駆け付けて来てくれると言うコイツの言葉に、 嬉しさ以上の哀しさを持て余してしまう。 俺も自分が、その時が来たってコイツを呼ぶことは無いって事を確信している。 俺は織田みたいに全てを投げ出すなんて事は出来ない。 何が何でも、守んなきゃなんない物を、コイツを受け止める前に見付けてしまってるから。
始まりが、遅すぎた。 織田も俺がこう思っているって事を気付いているんじゃないだろうか? それでもこうして言ってくれる言葉が俺を、 酷いことをしていると解っていても、次の行動を取らずにはいられなくした。 「・・・ホントに・・・ホントなんだな?」 「・・・うん」 短い沈黙の後、織田が返事を寄こす。 「行くよ。貴方のトコに」 もう、ミラー越しに見つめるのが辛い。 耳に携帯を当てたまま、俺は項垂れた。 膝に置いている空いた方の右手が、グッと膝を握り締める。 毎回、別れの度にこんな気持ちになってしまうから、もう止めようとその度に思う。 何をどう言い繕っても、結局俺はもう一人の大切な人の事も想わずにはいられない。 何よりも大切な『かみさん』という女と、コイツ以外の誰でもない『織田裕二』という男。 俺は織田と逢うことでかみさんを裏切り、俺がかみさんとの暮らしを営むことで、織田の『孤独』を増してゆく。 解ってはいても、俺は選べない。 欲張りと言われても・・・。 「こんなんじゃ、いつか『罰』が当たるかもな」 「柳葉さん?」 心配そうな織田の声が聞こえる。 居たたまれずに、俺は携帯を切った。 |